69年9月に、ニューヨーク大学での語学コースを終え、留学本番の
メイン州にあるbates collegeに向かう日がちかずきました。
ニューヨーク大学で受講中に知り合ったガールフレンドと辛い別れを経験しなくては、なりません
でした。
住み慣れたニューヨークを去らなくてならないのもつらいことでした。街角のホットドッグ屋の味とも
お別れだったんです。
トースト2枚とインスタントコーヒー2杯を飲んで彼女のアパートをあとにして42丁目の通りでタクシーを
ひろい、イーストサイドのバスターミナルに向い ボストン行きの飛行機に乗るためにラガーディア空港行きの
バスに身の回りの全荷物が入ったスーツケースを引きづりながらバスのステップを上った。
ボストンまでは、最新ジェットでのk最適な飛行だったが、ボストンからbates collegeがある
ルイストンまでは、10人乗ったら傾きそうな軽飛行機で、ガタビシと機体がきしみ、頭を天井にぶつけるんじゃないかと
ひやひやの1時間のフライトでした。
ルイストンに着いたのは、日没後。bates collegeのキャンパスへはルイストンの飛行場からタクシーで向うが
ついてもキャンパスには、誰もいない。
たまたま通りかかった人に声をかけると。カレッジのd職員に連絡を取ってくれて、dその職員さん宅に向かったが
カレッジの食堂は、しゅうりょうしていて、その言葉を聞くなり、すごく心細く感じ、ホームシックに襲われたかんじがしたんですが、
彼の奥さんが、サンドイッチを作ってくれ、それをほおばると、気持ちが落ち着き、寮に案内され、ルームメイトがいないま
独占的に、ベッドを勝手に選んで。毛布にくるまってねてしまいました。
入学式やガイダンスを終え、入学の一連の行事をすますと、もう何年も其の寮の住人のように厚かましく振舞っていたのは、わたしが、まだ
若かったからだったのかしら。
ルームメイトの一人が。、ステレオセットと数枚のLPレコードも持っていて、私たちルームめいとは、自由にレコード盤をセットして
曲を聞いていたのですが、
江wコードのもちぬしhさ、本物のアメリカン。本場中の本場のミュージックを聞けたんです。
初めて聞くようなミュージfシャンばかりその中で一番気にいったのは、「(the young rascals)grooving」
きっと、いまだにthe young rascals)の名前を知っている日本人は、私ひとりだけかもしれません。
でも、この曲を聴くと、日曜日の夕方のニューヨークが切なく思い出され、bates collegeに降り立った時に
襲われたホームシックの感じがよみがえります。
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