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思い出のメロディー<第7話>the beach boya)Good Vibrations 」
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1970年に
bateascollegeの修学予定日数の終了の日が近づくに
連れて、私の語学力のなさに気付き又、再度語学教室に通うべく
電話でニューヨーク大学に授業とが学生寮を申し込みましたが、
田舎暮らしに飽きちゃったと言うのがしょうじきのところでした。
また、つてを頼って日系企業の現地会社への就職をも試みましたが
自分の求めているものがわからず、何事にも手をつけるのが、ウェんどうくさい
と、感じつつなにもしない毎日を過ごしていました。
栄h五以外のスキルをつけなきゃと、それが何か分からないまま
いろいろ模索していましたが、bateascollegeで受けた
会計の勉強をしたいと思い始めました。
そして母校の先生にその旨を手紙に書いたところ、母校の大学院で
会計学をとることを勧められ。帰国後、入学試験を受けて
明治大学、大学院、経営学研究科に進学しましたが「学問を究めたい」と、
言うより、行くところもないし、やりたいこともないので
とりあえず大学院に籍を置いて、そのうち将来の事をきめようと、思っていたというのが
正直なところです。
今更ながら、しっかり足が地につかないじんせいは、いまだにあらたまっていないや(大汗)
ところが、ある日ある時、海外での企業研修生募集のきじを見つけたのです。
その研修生募集団体は、AIESEC(アイセック)と、言い選考試験を受けて後
研修先に研修生として勤務します。このそしきは、世界中の経済系の大学に支部があり
日本の大学もしかり、又大学院の会計学の教授が顧問をしていらしたこともあり
アイセックに関心を寄せ、又選考試験におうぼしました。
語学力を試すのが試験の目的で、難なく受かり、アメリカニューヨークにある
アーサーヤング会計監査事務所に研修生として働くことになりました。
たしか、1971年6月ごろ、羽田を立ちニューヨークにむかいました。
にニューヨークでは、スエーデンから来た研修生トミー、ドイツのハインツ、オランダの
ハンスらと一緒にウエストサイドのアパートに住んでそこから研修先の企業に通勤していました。
とみーは、コンサート好きで、夏休みシーズンにセントラルパークで開かれる1ドルコンサートから
リンカーンセンターでのティナ・ターナのティケットをまめに手配して、私を連れていってくれました。
そんな中、乳イージャージーのニューワークにあるルーズベルト球場で開かれるビーチボーイズbの
コンサートにさそわれました。
私は、ベー知ボーイズのコンサートをわざわざ行くほど熱狂的なファンじゃないし、kさいじょうには、夜中
にバスでいかなくちゃならないのが気にくわなかったのですが、トミーの熱意に押されて
コンサート会場方面に行くバスが出るウエストサイドのバスターミナルに早めの夕食をそそくさと終え
アパートをあとに向いました。
会場の球場に入ると、まっくらの上、マリファナの匂いがプンプン。するとギターが真っ闇にビーチボーイズ独特の
ペケペケと、音が響く。すると客席にざわめきがおきる。歌の出だしのコーラスが聞こえると、スポットライトが
輝き、リーダーのブライアンの髭面が闇にうかびあがり、と、同時に大きな歓声がわいた。
高温のハーモニーが「goodvibration」、のリズムを奏でる。
帰りは、予想通りいつ来るかわからないバスを、心細く待ちつどけるが、確か、夜明けには、マンハッタンのバスターミナルに帰りついた
と、おぼえています。ビーチボーイズのファンにこの話をすると、ひどくうらやましがられます。
まっ、トミーに出会わなければ、なかった貴重な経験です。
研修が終わって帰国後ずいぶん経って、トミーが病気だと言う噂を聞いたことがあります。
私だって脳梗塞に襲われ、半身不随になるしまた、歳が65歳を数える今、トミーが元気にいることを祈ります。
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