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★思い出のメロディー82話「りんごの唄」(並木路子)
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最近、数箇所のデイサービスに通って、気がついたのですが、カラオケで、この「りんごの唄」を聞く機会が増えたような
きがします。「りんごの唄」世代がカラオケになじんできたのかしらと、おもいます。
歌yを歌ったり踊りを踊るのはボケ防止に効果があると言われているので、いいことじゃないでしょうか、
ところで、「男女(だんじょ)七歳(ななさい)にして席を同じゅうせず」とは、中国の古い道徳書「礼記」が教えるところですが
これと同じようなことが、20世紀の後半しかも世界一自由なアメリカで、そんなことがありました。
私は1969年位アメリカ東北部、ーン州にあるベイツ。カレッジにりゅうがくしましたが、私が行った前年まで、三度のド食事は、ダイニング・ホール
で行われますが、寮生全員が一緒に揃って撮るのじゃなく、男女それぞれが入れ替わって交代でとっていたと聞いて「こりゃぁ
中国の「男女七歳にして」を、実践しているのかとおもいました。だって、、メーン州のあるニューイングランド地方は、大変保守的な清教徒が移住してきたところで、極めて保守的な土地柄だという認識があったので「さもありなん」と、簡単にそう信じたわけです。
でも、時間が過ぎるに伴い、事情が明らかになり、男女別々にしたのは、っダイニング・ホールが狭かったからで、拡張工事が終わった私が留学した時から、男女一緒にするようになったそうです。
ところで、しょくじでの男女共学は、さておき、当時。学内での議論がもりあがっていたことは、寮を共学にするということで。同じ寮のたてものの中で同じフロアーで男女がg共同生活をしようっていうことで、さすが進んだアメリカらしい議論が投じられていたわけです。
そのぎろんのけつまつは、どうなったか、さだかじゃないのですが、一緒にすみたいお相手のいない一留学生には、あまり現実的的じゃなく、興味もなかったのが、本音でした。
それより
ある時。私の向かえにお席に座って食事をしていた女学生が、たべものをそのままにして席を立ってしまったのです。なにか私がそそうでもしたかと、気遣っていると、
彼女は、りんごを手に、それをほおばり、かじりながら、席に戻ってきたので「どうかしたの?」と、たずねると、「ダイエットしているの」と、りんごをほうばりながら答えました。戦後の食糧危機時代に流行った「りんごの唄」を聞くたびにこの時始めてダイエット食品としての
りんごに出会った最初の時でした。カレッジの行事があるたびに、ダイニング・ホールには、アイスクリームがびっしり詰まったコンテナが並び、男女を問わ寮生たちが列にならび、コンテrんから好きなだけのアイスクリームを自分の皿に自由に盛り付けててんこ盛になったをぺろっと、たいらげます。
そりゃ太ってとうぜんだし、また、ダイエットも必要だわと、思ったしだいです。
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