身内の話で恐縮です。
私の叔母(亡父の末の妹で未婚)は、父と
長年、二人三脚で、神戸のヤギ薬局を
切り盛りして来ました。
07年05月20日で、81才になります。
叔母は、長くパーキンソン病を煩っておりましたが
病気に対しては、挫折は何度もあったようですが
前向きに、考えていました。
そんな日々を過ごしていた
03月21日の夜、脳出血で倒れてしまいます。
彼女は、ヤギ薬局の3階に住んでおりますが
店じまいを済ませたスタッフが
倒れた叔母を見つけ
救急車を呼び、かかりつけの病院に
緊急入院。
でも、その病院では、脳外科の専門医がおらず
翌朝、JR兵庫駅の近くにある脳外科病院に転院します。
意識はなく、呼吸も自力で出来ません。
でも、心臓は動いている。
意識不明の状態が続き、1ヶ月経とうとした
ある日、
看病する叔母の姉は
病院側から、今後の治療の方針
について、相談がしたいと告げられます。
つまり、延命処置をするかどうかの
判断をしなくてはならない時期が来た
のです。
そこで、近親者を代表して
前出の叔母の姉に加えて、もう一人の
叔母の姉が、主治医との相談に立ち会いました。
この様な病状だと、常識では
延命処置はとらない様です。
でも、主治医は、強く延命処置をすすめます。
結果、二人の叔母の姉たちは、主治医の意見に
従いました。
延命処置とは、点滴を止め
胃に穴を開けて、流動食を与えるのです。
この処置が始まっても
何の反応もない日が続きました。
私は、月、一回、神戸店で開かれる
定例会議に出席します。
05月は、昨日の20日でした。
会議終了後、私の妹と共に
叔母の姉に会うことになっており
叔母が入院する病院に向かいました。
病室に入ると
叔母は、ひとりぼっちで
寝ております。
私の妹が「おばちゃん」と声をかけると
叔母は、その声に応えようと
手を動かし、何か言おうと、口をぱくぱくします。
私も、思わず「しげるです。しげるです。」と
連呼しました。
叔母は、気が付いているんですよ。
私の事がわかるんです。
意識が回復したんですよ。
こんな事、事前に知らされていないので
びっくりし
そして、その喜びで、涙が目にあふれます。
叔母は、
倒れて2ヶ月目に、生き返ったんです。
私が手を握ると
しっかりと、握りかえします。
叔母の姉がいうには、つい1~2日前ぐらいから
反応が出るようになったそうです。
日に日に、意識が回復しているようです。
担当の看護師さんは、同じようなケースで
回復した例があったと
叔母の姉に話したそうです。
前例があればこそ、主治医の先生が
延命をすすめたのでしょう。
それも、そうですが、
叔母の、生き抜こうと言う意志が
大きく影響したんじゃないかと
私は、思います。
「あきらめちゃいかん」
と、声には出さないですが
叔母がそう言っているように感じました。
叔母から、大変ビッグなパワーをいただきました。
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