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★思い出のメロディー83話「木綿のハンカチーフ」(、太田裕美)
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u生まれ故郷神戸から大学入学のため東京に出てきたとき、恋人と呼ばれる人に見送ってもらったことはなく、
お袋が付き添ってくれた。出来たてのほやほやの東海道新幹線に乗ってきました。入学式が終わるまで、練馬に住む伯父の家に泊まって、
母は、単独で新台夜行急行で帰ったが、列車がホームを離れるとき、列車のデッキに佇む母が、手を目頭に当てるのを見たとき
私も胸が熱くなった。わたしは、大学の斡旋で、京王線沿線の調布市布田のごく普通の民家の二階に下宿して大学生活をはじめた。
1から2ヶ月たったころ母から様子伺いの手紙をもらったが、その手紙を読み進んでいくうち、涙が出てきて、読み終える頃、木綿のはんかちでは、なく
タオルで目頭を抑えつつ嗚咽を漏らしていたっけ。そしてこの「木綿のハンカチーフ」の曲を聞くたびに、母の手紙のことをおもいだしていた。そして、「あれから40年」
デイサービスに通う老人ホームに新人歌手が来て「木綿のハンカチーフ」
母は、元気で神戸におり、わたしは、夕飯のしたくをするかないに何気なく「木綿と絹と」どちらが好きかと、問うと、「絹」だそうだが、私は、歯ごたえのある木綿がすきだと、
豆腐の話題になっていた。
居う
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