題名からして「西瓜」とかそれに類したものがテーマの歌かな?」という淡い期待は、
見事に裏切られます。つまり、・・・・、このうたは、桑田佳祐さん監督の映画「稲村ジェーン」の主題歌なんです。
ところが、鎌倉の稲村ケ崎にちなんだ映画ですが、鎌倉幕府を倒した新田義貞にまつわる話ではなく、
稲村ケ崎に寄せてきたサーフィンに最適な波の名前が「稲村ジェーン」ってわけで、監督にしか意味がわかりそうにないという映画で色とりどりで数いっぱいの
風車が回るシーンがやたらきれいだったのがすごく印象的でした。
この映画をみたことがってことで、以前、カラオケの持ち歌にしていたのですが、声を張り上げないとついていけない
難しい歌ですので、歌うと大変疲れるのでしばらく歌わなかったのですが、春先の持ち歌「名残雪」をこの時期には、似合わないので
活動を休んでいたサザン・オールスターズにあやかってがんばってうたいます(笑)。
この曲は、私にとって、思い出というよりバリバリの現役で
カラオケの持ち歌なんです。
お年寄りを対象にしたデイサービスでは食事や入浴が提供されるだけでなく
リクエイクリエーションもあり、リクエイクリエーションの中でカラオケも人気があります。
そこで私が歌うのがこの曲なのです。第一回レコード大賞を獲得した中村八大永六輔コンビが作曲、作詞した
名曲で、デイサービスの職員さんに紹介された時「あれっ?、どこかで聞いたことがある」よ、感じるのは
私だけでないでしょう、だってあるインスタントコーヒーのコマーシャルに使われていたのです。
歌やだんすは、老化防止にいいといわれています。リハビリだけでなく、せいぜい歌のレパートリーも増やしていくとしましょう。
ただ我が家の糠味噌がくさらぬよう、かあちゃんに気をつけてもらうようにします(笑い)
ところで、びぎんとは、(始める)T歩いう英語のいみでなく
カリブ海にうかぶフランス領マルティニクのダンス音楽のことだそうです。
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★思い出のメロディー84話港町十三番地」(、美空ひばり)
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なんとこの歌のレコードは昭和32年にコロンビアレコードから発売され一躍チャート1位だったそうで
私もラジオから流れるこのメロディーを聞いたことがあるような記憶があります。私の生まれ故郷が港町神戸ですから
港町とは、神戸のことに違いないと、思い。いやまた、「ひばり」さんは、横浜出身だから、この港町は、横浜のことだろうと
思ったけれど、グーグルで調べると、神戸でも横浜でもなく。京浜急行の大師線にある港町のことだそうで、つまり
そこにコロンビアレコードの工場があったからだそうです。すると、大師線とは、川崎大師ですから、
つまり
この港町は、川崎市にあったってことだそうです。ところが、コロンビアレコードは、工場がまだあるのか、定かじゃありません。何しろ
、赤坂にあったコロンビアレコード本社も移転し今はなく、「コロンビア通り」という名前だけが、赤坂7丁目にのこっています。
でも、港町じゃなく港区で、港であることに違いは、ないようです(汗)。赤坂が夜の町の代名詞だった時代は、随分と、昔の話になったようです。
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★思い出のメロディー83話「木綿のハンカチーフ」(、太田裕美)
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u生まれ故郷神戸から大学入学のため東京に出てきたとき、恋人と呼ばれる人に見送ってもらったことはなく、
お袋が付き添ってくれた。出来たてのほやほやの東海道新幹線に乗ってきました。入学式が終わるまで、練馬に住む伯父の家に泊まって、
母は、単独で新台夜行急行で帰ったが、列車がホームを離れるとき、列車のデッキに佇む母が、手を目頭に当てるのを見たとき
私も胸が熱くなった。わたしは、大学の斡旋で、京王線沿線の調布市布田のごく普通の民家の二階に下宿して大学生活をはじめた。
1から2ヶ月たったころ母から様子伺いの手紙をもらったが、その手紙を読み進んでいくうち、涙が出てきて、読み終える頃、木綿のはんかちでは、なく
タオルで目頭を抑えつつ嗚咽を漏らしていたっけ。そしてこの「木綿のハンカチーフ」の曲を聞くたびに、母の手紙のことをおもいだしていた。そして、「あれから40年」
デイサービスに通う老人ホームに新人歌手が来て「木綿のハンカチーフ」
母は、元気で神戸におり、わたしは、夕飯のしたくをするかないに何気なく「木綿と絹と」どちらが好きかと、問うと、「絹」だそうだが、私は、歯ごたえのある木綿がすきだと、
豆腐の話題になっていた。
居う
明日(17日金)から22日水)まで足立区谷在家にある、特別介護老人養護施設さくらにショートステイにまいります。携帯と充電器を持参しますが、電池切れになるかも知れません。
御用の方は、こちらにコメントをいただく22日以降に連絡をいただければ嬉しいです。
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★思い出のメロディー82話「りんごの唄」(並木路子)
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最近、数箇所のデイサービスに通って、気がついたのですが、カラオケで、この「りんごの唄」を聞く機会が増えたような
きがします。「りんごの唄」世代がカラオケになじんできたのかしらと、おもいます。
歌yを歌ったり踊りを踊るのはボケ防止に効果があると言われているので、いいことじゃないでしょうか、
ところで、「男女(だんじょ)七歳(ななさい)にして席を同じゅうせず」とは、中国の古い道徳書「礼記」が教えるところですが
これと同じようなことが、20世紀の後半しかも世界一自由なアメリカで、そんなことがありました。
私は1969年位アメリカ東北部、ーン州にあるベイツ。カレッジにりゅうがくしましたが、私が行った前年まで、三度のド食事は、ダイニング・ホール
で行われますが、寮生全員が一緒に揃って撮るのじゃなく、男女それぞれが入れ替わって交代でとっていたと聞いて「こりゃぁ
中国の「男女七歳にして」を、実践しているのかとおもいました。だって、、メーン州のあるニューイングランド地方は、大変保守的な清教徒が移住してきたところで、極めて保守的な土地柄だという認識があったので「さもありなん」と、簡単にそう信じたわけです。
でも、時間が過ぎるに伴い、事情が明らかになり、男女別々にしたのは、っダイニング・ホールが狭かったからで、拡張工事が終わった私が留学した時から、男女一緒にするようになったそうです。
ところで、しょくじでの男女共学は、さておき、当時。学内での議論がもりあがっていたことは、寮を共学にするということで。同じ寮のたてものの中で同じフロアーで男女がg共同生活をしようっていうことで、さすが進んだアメリカらしい議論が投じられていたわけです。
そのぎろんのけつまつは、どうなったか、さだかじゃないのですが、一緒にすみたいお相手のいない一留学生には、あまり現実的的じゃなく、興味もなかったのが、本音でした。
それより
ある時。私の向かえにお席に座って食事をしていた女学生が、たべものをそのままにして席を立ってしまったのです。なにか私がそそうでもしたかと、気遣っていると、
彼女は、りんごを手に、それをほおばり、かじりながら、席に戻ってきたので「どうかしたの?」と、たずねると、「ダイエットしているの」と、りんごをほうばりながら答えました。戦後の食糧危機時代に流行った「りんごの唄」を聞くたびにこの時始めてダイエット食品としての
りんごに出会った最初の時でした。カレッジの行事があるたびに、ダイニング・ホールには、アイスクリームがびっしり詰まったコンテナが並び、男女を問わ寮生たちが列にならび、コンテrんから好きなだけのアイスクリームを自分の皿に自由に盛り付けててんこ盛になったをぺろっと、たいらげます。
そりゃ太ってとうぜんだし、また、ダイエットも必要だわと、思ったしだいです。
、
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★思い出のメロディー81話「そっとおやすみ」(布瀬明)
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結婚前のことだからざっと30年以上前のこと、私がアーサーヤング会計事務所ではyたらいていた頃
同僚のおy等さんが馴染みの当時いわゆる(サパークラブ)っていわれた業態のお酒を出して食事もできる店
を紹介してもらい。わたしの仲間たちのたまりになっていたお店が地下鉄赤坂見附の駅の並びにあるビルの地下に
ありました。赤坂という場所柄、決して安くないお店ですが、お友達を誘ってよく通ったものです。
確か、一回には、銀行があったはずですが、10年以上前にその店があったあたりをウロウロしたが、店があったばしょには、店の看板も
なくなり、なにも残ってあらず、もぬけの空って、じょうたいでした。また、そのみせの真裏には、有名なキャバレー「月世界」があったはずでしたが、そそれも
雑居ビルに模様替えしていました。yつまり、赤坂の古き良き華やかなりし頃のものがなくなってしまったわけです。
その行きつけの店は、夜中の2時3時まで、営業しており、閉店間際になると、「そっとおやすみ」の曲が店内に流ると、私たちきゃくは、勘定を済ませ
店の階段を駆けのぼりビルの前を走る外堀通りに出て、タクシーをひろって家路についたしだいです。
いま、リハビリのため、デイサービスに通っていますがデイサービスで、時々カラオケを、アトラクションとしてやり、この「そっとおやすみ」をよく歌います。すると、赤い絨毯がしきしめられて、なんかえらく高そうな絵が飾られた店の様子が思い出され、胸キュンものですが、その当時の仲間たちともう会う機会がなくなり、また。赤坂に行くことすら亡くなった
今日この頃、車椅子生活jから卒業できた日に、一度、赤坂界界隈をぶらぶらしたいものです。いや、飲み屋さんはともかく、ごぶさたの、日枝神社にお参りしなくっちゃいけないなと、思うわけです。
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★思い出のメロディー80話「la vie en rose(ラビアンローズ)バラの生活」(ビzaz等)
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昔ラジオから流れる百貨店高島屋のコマーシャルソングとして「la vie en rose(ラビアンローズ)バラの生活」
が流れて「バラの包み紙の高島屋」との一言がんがれてきました。もともと、エディット・ピアフのフランスでのヒット曲で日本でも多くのシャンソン歌手が取れあげて歌っていました。
ユーチュブを見ていると、zazと名乗った女性歌手が、ジャズにアレンジして、アップテンポで軽やかなメロディーで歌って、
何かと古めかしく感じるシャンソンのイメージをノリノリの感じできかせてくれます。
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